芥川 龍之介

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芥川 龍之介
あくたがわ りゅうのすけ
小説家
生年月日: 1892年3月1日
生まれ: 東京都 東京都 京橋
死没: 1927年7月24日, 東京都
映画: 羅生門、 地獄変、 南京の基督、 暴行
子: 芥川 也寸志、 芥川 比呂志、 芥川 多加志

-名言-
自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。

完全に自己を告白することは、何びとにも出来ることではない。同時にまた、自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。

古来政治的天才とは民衆の意思を彼自身の意思とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。むしろ政治的天才とは彼自身の意思を民衆の意思とするもののことをいうのである。

正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。

恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。

我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである。

どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。

女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。

運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」という言葉はけっしてなおざりに生まれたものではない。

あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。

人間は時として、満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である。

最も賢い処世術は、社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。

道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与えたる損害は完全なる良心の麻痺である。

天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。

私は第三者を愛するために夫の目を盗んでいる女には、恋愛を感じないことはない。しかし第三者を愛するために子供を顧みない女には、満身の憎悪を感じている。

打ちおろすハンマーのリズムを聞け。あのリズムが在する限り、芸術は永遠に滅びないであろう。

阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。

懐疑主義者もひとつの信念の上に、疑うことを疑わぬという信念の上に立つものである。

我々の生活に必要な思想は、三千年前に尽きたかもしれない。我々は唯古い薪に、新しい炎を加えるだけであろう。

どうか英雄とならぬように - 英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守りくださいまし。

成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少なくとも成すに足ることを欲するのは。

僕等の性格は不思議にもたいてい頸(くび)すじに現れている。

人生の競技場に踏みとどまりたいと思ふものは、創痍を恐れずに闘はなければならぬ。

自然を愛するのは、自然がわれわれを憎んだり、嫉妬しないためでもない事はない。

人生は地獄よりも地獄的である。

恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくても詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。

創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命にまかせるより仕方はない。

わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。

軍人の誇りとするものは、小児の玩具に似ている。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう。

周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい。

他を嘲(あざけ)るものは同時にまた他に嘲られることを恐れるものである。

強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは、常に強弱の中間者である。

あなた方のお母さんを慈しみ愛しなさい。でもその母への愛ゆえに、自分の意志を曲げてはいけない。そうすることが後に、あなた方のお母さんを幸せにすることなのだから。

我々に武器を執らしめるものは、いつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。

人生の悲劇の第一幕は、親子となったことに始まっている。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。

げに人間の心こそ、無明の闇も異らね、ただ煩悩の火と燃えて、消ゆるばかりぞ命なる。

天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。

幸福とは幸福を問題にしない時をいう。

道徳は常に古着である。

私は不幸にも知っている。時には嘘によるほかは語られぬ真実もあることを。

わたしは二三の友だちにはたとい真実を言わないにもせよ、嘘をついたことは一度もなかった。彼等もまた嘘をつかなかったら。

好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第一に、歓喜を語るに良い。第二に、不平を訴えるのに良い。第三に、いてもいなくても良い。

我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであろう。同時に又あらゆる男子の中にも–。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶や厳畳に出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであろう。

他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。

民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我々自身も亦民衆であることを発見するのはともかくも誇るに足ることである。

我々を走らせる軌道は、機関車にはわかっていないように我々自身にもわかっていない。この軌道もおそらくはトンネルや鉄橋に通じていることであろう。

われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である。

古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔している。

忍従はロマンティックな卑屈である。

人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。

女人は我々男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である。

文を作るのに欠くべからざるものは、何よりも創作的情熱である。

天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心地のよい名声」を与えられることである。

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